えりたく夫婦について
雑記

シングルマザーに育てられた娘。母の死を知らせるために父親探しの旅をした話

シングルマザーの母に女手1つで育てられた、えりんこ(@erincology)です。

私は24歳で母をがんで亡くした時、「自分のルーツが知りたい」「母の死を知らせたい」と思って、父親を探すための旅に出ました。

えりんこ
えりんこ
当時の様子をリアルタイムでmixi日記に書いてたけど、「執筆したら?」「本出しなよ」と友達からコメントもらったりしました。

今回の記事は、私の父親探しの旅を綴ったストーリーから、シングルマザーに育てられた中で気づいたことをお話しします。

https://ilatte.co/eritaku/erinco-profile/

母の死を知らせる、父親探しの旅

がんで「余命1年」と宣告された母は、本当に1年で亡くなった。

いつか母が亡くなったら、自分のルーツを知るために父親の所在を調べようと思ってたけど。

こんなに早く、24歳で自分の過去を辿ることになったのは、完全に想定外だった。

小平市役所にて

まずはともかく、育った町である小平市の役所に向かった。

えりんこ
えりんこ
あの・・・。父親の現住所を知りたいのですが。

私が3歳の時に、両親は離婚。

それ以来、父に会ったことがないどころか、母からは一切父親の詳細を知らせれていなかった。

と言うより、「お父さんのことを聞いたら、眞由美(母)の心は痛むかな?」と思って、子供の頃から聞かないでおこうと決心してた。

  • 小平市役所では現住所は分からない
  • 父親の本籍がある那覇市役所に行けば分かる(かも)
  • そこで現住所が分かるか保証はできない

との事で、とりあえず那覇市役所のある沖縄県に飛ぶことにした。

2011年8月1日、出発の朝

変な緊張で落ち着きがなかった。一番安い便を取ったから、出発は真夜中。

改めて戸籍をジッと見ると、書面上では淡々と家族模様が記されている。

私の家族にどんなドラマがあったかなんて、誰からも聞かされなかった。

えりんこ
えりんこ
じいちゃん、バツイチだったのか・・・。てか、前の奥さんと離婚してからおばあちゃんと結婚するまで数ヶ月しか経ってないじゃん。これ、不倫してただろ。

 

父親の記憶は、最悪なものしか残ってない。

母は父に殴られてアザだらけになって毎日泣いていたし、せっかく作ったごはんをいつもひっくり返された。

ごはんがバラ撒かれたキッチンで母は泣き崩れて、ただ側でそれを見ていた。悪夢だ。

えりんこ
えりんこ
今も、クソオヤジなんだろう。でも私には、そのクソオヤジの血が入っていて、そっくりな部分もあるんだろう。

よく「お母さんに似て、良かったね」と周りの人たちに言われてたけど、自分ではそう思えなかった。

実際に母とケンカすると、

母
怒った顔があんたの父親にそっくり!

って言われてたから。

”母だけじゃない誰か、いつか見た怖い人の要素が入ってる顔”

鏡をみるたびそんなことを思って、自分のことが嫌いになった。

父方のおばあちゃんは、良い人かもしれない

母がほとんど植物状態になった時、親戚のおばさんが知っていることをポロっと話してくれた。

  • お父さんは沖縄の人で、3歳まで私も沖縄に住んでいた
  • 私の苗字は「浅見」の前「糸満(いとまん)」だった
  • 父方のおばあちゃんは太陽みたいな人で、私に似てるところがある
えりんこ
えりんこ
そうなんだ。おばあちゃんは良い人かも。生きてるといいな。

母は今まで父親のことについては何も話さなかったけど、一度だけ私たち兄弟に、こう質問したことがあった。

母
お父さんに会いたいと思う?

その声はちょっと悲しそうだった。

弟
父ちゃんなんていらないし!お母さんがいるし!

弟は潔く、当たり前のように言った。

私は母を悲しませたくなかったから、

えりんこ幼少期
えりんこ幼少期
別に。今更って感じ。

弟と違って可愛げのないところが、きっと父親に似てるんだろうなと思った。

いつか母が年取っていつか死んでしまったら、別に会わなくていいけど、せめて父が何処で何してた人かぐらい調べようってことを薄っすら考えていた。

自分が何者なのか、知りたかったから。

まさか、こんなに早く探すことになるとは思わなかった。

2011年8月2日、AM3:00に那覇空港到着

バックパック抱えて空港で寝る予定だったけど、閉鎖するとのことで追い出される。

とりあえず那覇市役所の近くまで行って、朝まで待つことにした。

せかせかと空港を追い出され、仕方なくタクシーに乗る。

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
観光で?

えりんこ
えりんこ
うーん、ちょっと違うかな。

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
一人旅かい?

えりんこ
えりんこ
うん、そんな感じ。生まれは沖縄なんだよ!

それを知ってか、沖縄弁を話すおっちゃん。

全く意味が分からない。

えりんこ
えりんこ
え?なんて?

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
これわかんないの?そりゃー沖縄生まれって言わないな!あはは!

えりんこ
えりんこ
・・・

(いきなり弾かれた気分がして、少し億劫になった。)

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
沖縄に親戚でも住んでるの?

えりんこ
えりんこ
わかんない。お父さんを探しに来た。

(それから家庭の事情をちょろっと話す。)

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
そりゃーお父さん喜ぶよ!こんなきれいな娘さんがいきなり会いに来たらー!

えりんこ
えりんこ
そうかな?でも怖いひとだったよ?

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
沖縄の男はみんな酒のんで暴れて大変だよ!あはは! 

東京の箱入り娘的には、全然あははではない。

タクシーの運ちゃん
タクシーの運ちゃん
暴力は奮うこともあるけど、みんな根は優しいひとさ~

つまり、父ちゃんが悪いのではなく、沖縄がそうさせたのか?

タクシーの運ちゃんとの会話でちょっとだけ安心して、那覇市役所で降ろしてもらった。

外のベンチで、朝が来るのを待つ。

那覇市役所で、たらい回し

朝8時30分、やっと役所が働き始めた。

えりんこ
えりんこ
あの・・・・。父親の現住所を知りたいのですが。

市役所では、たらい回しされながら「娘でも正当な理由がないと現住所は教えられない」と、なんか色々なことを質問された。

「いや、娘であることが正当な理由だろ」と思いながら、淡々と質問に答えた。

ついに現住所をゲット

たらい回しと質問の果てに、ついに父親とおばあちゃんの現住所が記載された紙を渡された。

えりんこ
えりんこ
おばあちゃん生きてたんだ。会えるんだ!

と思うと、嬉しかった。

なぜかお父さんの苗字は、母方の苗字である「浅見」のまま。

えりんこ
えりんこ
・・・なんで?

幸いなことに、2人とも那覇市に住んでいた。すぐ近くにいる。

ゲストハウスに荷物を置いて、まずは歩いておばあちゃんの家を探した。

初めて会う、おばあちゃんin沖縄

那覇は歩きやすかった。小さい町だから、目的地まで近い。

民家のあたりは東南アジアの匂いがした。建物とか、ゆったりした雰囲気とか。日本ではない。

えりんこ
えりんこ
いつかこの道を歩いたんだろうな。

なんか、懐かしい気分になった。

・・・ついに、発見。

【糸満】

えりんこ
えりんこ
(ピンポン)

ドアの向こうから「どなた?!どなた?!」

・・・おばあちゃんの声だ。

えりんこ
えりんこ
シゲさんですか?眞由美の娘ですけど!

おばあちゃん
おばあちゃん
は?!

えりんこ
えりんこ
浅見眞由美の娘です!

おばあちゃん
おばあちゃん
・・・は?!ちょっと待って・・・。

それから、3分ぐらい何も応答なし。

えりんこ
えりんこ
やっぱり終わったな・・・

と思った瞬間、ドアが開いた。

動揺したおばあちゃんが涙を流しながら私をハグして、大歓迎してくれた。

父方の親戚との再会と、初めて知る私の過去

私のルーツが、今まさに目の前にあった。

おばあちゃんの歓迎ムードに安心しつつも、ディープな過去の話に切なさを感じる。

知らなかった父の過去

おばあちゃんに迎え入れられ、私はおばあちゃんが作ったゴーヤチャンプル定食を食べていた。

おじいちゃんは20年前くらいに亡くなっていたらしい。

おばあちゃん
おばあちゃん
えりのお父さんは眞由美ちゃんをすごく愛していたさ

おばあちゃん
おばあちゃん
本当は離婚したくなかったさ

おばあちゃん
おばあちゃん
暴力をふるってしまったことを後悔しているさ

おばあちゃん
おばあちゃん
きっと毎日えりたちのことを思っていたさ

おばあちゃん
おばあちゃん
今も眞由美ちゃんを忘れられず、未だに「浅見」でいるさ

おばあちゃんは足が悪く、少しボケてしまっている。

何度も何度も、涙を流しながら同じ話と、同じ質問をされた。

おばあちゃんのシワシワの目元に滲んだ涙を見ながら、父が生きてきた道を、初めて辿っていた。

学生のうちにできちゃった婚。

留学する夢を諦めて、家族のために必死で働いた。

過労で何度か倒れたらしい。

それでも家族がいて幸せだったそうだ。

・・・

うちのじいちゃん(母方)にしつこく頭を下げられ、仕方なく浅見家の会社を継ぐことになり、婿養子に。

ちょうどおばあちゃん(母方)が末期ガンということもあり、私が3歳のとき東京に引っ越し。

・・・

ストレスは溜まり、母に対する暴力はエスカレート。 

それからいろいろ揉めたりして、離婚。

・・・

離婚後も子供たちに会わせてもられることを条件に離婚したそうだが、実際は一切会わせてもらえなくなって、愕然としたそうだ。

誕生日プレゼントを送っても、小平まで会いに行っても、「そういうことはやめろ」と追い返されて、どうすることもできなかったらしい。

子供の頃の私からすると、父親はあっさり出て行ったように見えた。

「お父さんは遠くに行くからね。」 

幸せだった思い出は全部忘れて、こわい、つらい、かなしい過去しか記憶に残っていなかった。

こうして子供にはちょっとした両親の都合でも、深く心に刻まれて、背負って生きることになってしまうのかと思うと、子育ての難しさが嫌というほど分かる。

その時私に、「親というものになりたくない」という価値観が生まれた。

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初めて会う、父方の親戚たち

父は、4人兄弟だったらしい。

今回その全員に会うことができた。

一番上のお兄さんは、おばあちゃんと一緒に暮らしていた。

私にほとんど興味を示さず、すぐ2階に上がっていってしまった。

えりんこ
えりんこ
再会時間、およそ30秒

次に会ったのは、お姉さん。

私に会うなり号泣だった。

思い出話をしてくれたけど、私は沖縄のことを一切知らない。

誕生日プレゼントを拒否されたこと、小平まで行って会わせてもらえなかったこと、心を痛めていた。

えりんこ
えりんこ
「何も出来なくてごめんね、ごめんね」と言われたけど、私はあなたたちの存在すら知らなかった。

親戚中の噂を聞きつけて、一番私に思い入れがあったという、父の弟さんから電話がかかってきた。

たくさん思い出話をしてくれたけど、

えりんこ
えりんこ
いやぁ、覚えてないですねー!

って冗談っぽく言ったら、みんな本気で凹んだような顔をするから、本当に申し訳ない気持ちになった。

でも、どうしようもなかった。

それから、みんな私のことを「えーりー」と呼ぶんだけど、これは沖縄独特のニックネームの付け方らしい。

父との再会

家族総出で父さんに電話しても出ない。

連絡つかないキャラだった。

やっとのことで連絡がついて、おばあちゃんちに、ついに私の実の父がやってきた。

「初めて見る顔」と言っても、過言ではない。

えりんこ
えりんこ
(・・・すでに老けたなぁ)

顔が、おっさんになったバージョンの弟だった。 

20年後の弟がきた。きっとドアの向こうにタイムマシンがある。

初めて交わす、父との会話

父と話してみて思ったことは、

  • 金持ち父さんだ
  • 頭がいい人だ
  • 男性らしい人だ
  • 不器用な人だ
  • たまにデリカシーがない人だ
  • でも悪い人ではなさそうだ

ただ、若かったから、眞由美と上手くいかなかったんだ。

私の今の歳(当時24歳)で、母は私を産んだ。

私もこの歳になるまで人並み程度に恋愛をしてきたから、どのようにしてこの夫婦がケンカをして、上手くかみ合わず、離婚に至ったのかは聞かずとも感じ取ることができた。

その夜は、ゲストハウスの宿泊をキャンセルして、おばあちゃんの家に泊まった。

両親が離婚した本当の理由

父と話したり、わかったことは言葉にできないほど沢山ある。

母が父と一緒にいられないと思った理由

父が母と一緒にいられないと思った理由

私と母が似ているところ

私と父が似ているところ

父みたいなひとが彼氏だったら厄介だ

結婚したら母がした間違いは繰り返したくない

どれほど母が大切なひとだったか

どれほど私が沢山のひとに愛されていたか

私の「恵利」という名前は、母がつけたと聞かされていた。

”恵まれて、利口になるように”と。

父は、「違うよ、お父さんが付けた」と言った。

”ご利益に恵まれますように”と。

えりんこ
えりんこ
結局何が本当なのか分からないけど、そんなことはどうだって良くなってきた。

太陽のような沖縄人の明るさに触れる

私はよく「明るいですね」と言われるけど、沖縄人の本物の明るさを見ていると、自分はすごく根暗だということが明らかになってしまった。

太陽のように明るい沖縄人たち

翌日、父のお姉さんの家に遊びに行った。

子供(私のいとこ)が5人いて、特に女の子たちは太陽のように明るくて圧倒された。

いとこたち
いとこたち
えーりーだ!えーりーだ!

父方のじいちゃんも酷い暴れようで、おばあちゃんはいつも、こてんぱんにやられていたという話を聞いた。

そして、お姉さんの旦那さんも同じように大暴れするらしいけど、みんなケラケラ笑いながら

いとこたち
いとこたち
フォークが飛んでくるさ〜!あはは!

とか言ってるし、子供がグズると怒って、お母さんごとベランダに締め出されたそうだ。

その家のお父さんの名言は「俺が法律だ!」だそうで。

えりんこ
えりんこ
そういうのをDVって言うんだよ。社会問題だよ。昭和の考え。時代遅れ!東京じゃありえない!

って言っても、みんな明るくケラケラ笑った。

出産したばかりの長女は私と同い年で、とにかく純粋に笑った。

「楽しい」の塊で出来ている人。

人を見て初めて、「こういう人になりたかった」と思った。

私の暗い話のときは、いとこたちは上手に会話から抜けていき、楽しい話をすると、真ん丸のキラキラした目で、

いとこたち
いとこたち
なになに?!

と、戻ってくる。

底抜けの明るさは見ていて気持ち良かった。

私のパーソナリティに、一番不足しているものだ。

もし沖縄で育っていたら

沖縄の人は、とてもゆったりしている。

待ち合わせ時間からシャワーを浴びたりして、基本的に集合するのがユルすぎた。

そういうのを見て「東京で育って良かった」と思う反面、沖縄人の余裕ある底抜けの明るさがまぶしくて、

えりんこ
えりんこ
沖縄で育ってたらこういう風になれてたかな

とか、思ったりした。

沖縄に伝わる「三毒の教え」

父の親友にも会った。

私も小さい頃に会ったことがあるらしいから、その人も20年ぶりぐらいの再会ということになる。

那覇でオーセンティックバーを経営してる、金持ち父さん風のおっちゃんで、この人も太陽のようだった。

父は短気で、いちいちイライラする。そのたびに、

父の親友
父の親友
怒らない怒らない!はい、三毒の教え!

と言って、父に復唱させた。

私はこの”三毒の教え”に感銘を受けた。

三毒とは、人間が持つ最も良くない毒の部分のことを言うんだそう。

毒が出た時に、頭の中でこれをリピートさせると、少し素敵な人間になれるんじゃないかと思う。

三毒の教え

  • 怒らない
  • 妬まない
  • 愚痴らない

怒るか妬むか愚痴ばかり言う人を見ても、だれも幸せにならない。

この沖縄の人たちの明るさに触れているだけで、台風で帰れなくなって良かったと思えた。

えりんこ
えりんこ
あ、そうそう。台風で飛行機が欠航になって、予定より長く滞在してたんです。

父、母、子供、家族というものを考える

台風で缶詰めになっている間、父とずっと一緒にいざるを得なかった。

その中で「家族」というものを生まれて初めて深く考えることに。

父を父と思えない葛藤

努力はした。

でも、どうしても自分の親だと思えなかった。

これから先はわからないけど、正直、この人のことを好きになれなかった。

「お前の笑い方、眞由美そっくりで、眞由美がいるみたいで気持ち悪い」

とか、

「あいつ(眞由美)、長く生きるんだろうなぁと思ったけどなぁ~(たばこをパカパカ吸いながら)」

とか、ちょっとデリカシーが欠落している。

なんかすぐ怒って怒鳴るし、毎日呑んだくれるし、キャバクラ行くし。

えりんこ
えりんこ
・・・って早速、三毒の教え破ってグチってる。ごめんなさい。

父も、親戚も、「眞由美が死んだことのショック」よりも「えーりーと仲良くなりたい」の方が強いのを感じる。

嬉しいことだけど、それは当時の母を亡くしたばかりの私にとっては複雑だった。

今回の旅の一番の目的は、「父親探し」ではなく「母の死を知らせる」ことだったから。

子供が両親に願うこと

母は、私の全てだった。

今まで23年間、母が喜ぶ顔を見るために、歌やダンスや芝居を頑張ってきた。

その母の顔が寂しそうにこっちを見ているような気がして、胸が痛い。

両親だって2人とも、その時その時を一生懸命生きていただろうし、たくさん苦労もしただろう。

一人間として見れば、とても理解できる。

でも・・・

えりんこ
えりんこ
せっかく私を産んだなら、子供としては両親は仲良くして欲しかった。

というのが本心ではある。

けど、愛し合っていなかったら意味がない。

よく「子供のために離婚しない」というのを聞くけど、私個人的には「それは別に子供のためになってない」と思う。

離婚するのはいいけど、関係をウヤムヤにするんじゃなく、家族には隠し事なく、それぞれが幸せに生きてくれれば良かった。

離婚したのに両思いだった説

父の苗字が「浅見」ままになっている理由は、「めんどくせーから」と本人は言い放っていたけど、本当はまだ母のことが好きだったのかもしれない。

一方母も、ほぼ植物状態で言葉を発さなくなった時、こんな言葉を残している。

私が病室で横たわる母に、こう話しかけた時のこと。

えりんこ
えりんこ
ねえ、元気になったら旅行に行こう。どこに行きたい?

母は海外が好きで、特にニューヨークに憧れていたから、もちろんニューヨークだろうなと思った。

えりんこ
えりんこ
ニューヨークに行こうね!

すると、小さな声で「沖縄・・・」とだけ言った。

喋ったことにもビックリしたけど・・・なんで沖縄?!

その出来事をふと思い出して、涙が止まらなくなった。

あんなに母は美人だったのに離婚してから一度も彼氏を作ってなかったから、もしかすると、もしかするかも。

愛し合ってたなら、どうにかなったんじゃないの?幸せになるために離婚したのに、その後の人生が幸せだったようには思えない・・・って今更どうにもならない話だけど。

沖縄、最後の夜

最後の夜、親戚が集まって飲み会。

おじちゃん達はベロンベロンに酔っ払い、なんか全員で殴り合いの大げんかになるところを見ていた。

こんなはずじゃなかった、と私も泣きながら「沖縄の男(親戚に限るかもしれませんが)は、本当にしょうもない!」と心の中で叫んだ。

キレる父を何度も何度も止めようとしたけど、突き飛ばされ、最終的に

えりんこ
えりんこ
お前は父親ヅラしてんじゃねーよ!!

という私の決め台詞により、自動的に盛大な飲み会の幕が閉じた。

その夜は泣きながらビジネスホテルにチェックインして、翌朝逃げるように沖縄から出ていった。

母への想いと私のこれから

ホームタウンである東京に戻った。母が1人で立派に育ててくれた場所。

20年という時間はすごいもので、人生の基盤と、父との十分すぎる溝を作ってしまった。

「これから埋めればいい」というセリフは、私からすればとても安いフレーズに聞こえる。

私の母は、父でもある

父とは一緒にいればいるほど、離婚前の母の気持ちがヒシヒシと染みるほど分かった。

近いものほど反発しあい、何故か惹かれ合ってしまう。

私の両親の間に、たくさんの葛藤があったことを感じ取った。

これは親戚のおじちゃんから聞いた話。

今おばあちゃんが住んでるこの家は、眞由美の駆け込み寺だった。

旦那に乱暴されて、顔に大きなアザを作って、裸足で赤ちゃんのエーリーを抱いて走って、よくここに逃げてきたんだよ。

そのあと母子家庭で育ちながら、しょっちゅう母と私はケンカしていた。

ひどいこと言ってしまったし、ひどいことを言われたこともある。

それでも女手一つで一生懸命私を育ててくれた母は、私のたった1人のお母さんであり、たった1人のお父さんだ。ということに気づいた。

結婚相手を選ぶ基準

どんな事情があったにしろ、暴力はいけない。言葉の暴力もいけない。

口が悪い、表現が下手くそ、よく言えば不器用でかわいいかもしれないけど、私と母の意見は一致する。

もし結婚をするなら・・・

  • 優しい人がいい。
  • 2人で幸せになれる人がいい。 
  • 傷つけることをしない人がいい。
  • 表現がしっかりできる人がいい。

大切なものは自分で築けばいい。

今はそんな理想の男性と巡り合って、幸せな結婚生活を送っている。

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これからの私

今は父からも親戚からも連絡は来ないし、こちらからも取っていない。(現在の連絡先はわからない)

最後に酷いことを言ってしまったけど、いつか私たち夫婦揃って沖縄に挨拶できたらな・・・と思ったり、思わなかったり。

でもそれは私の中で最優先事項でもないから、別に達成できなくてもいい。

今ここに幸せがあるのは確かで、今ここにあるものを大切にしたいというのが一番の気持ち。

えりんこ
えりんこ
大切にしてくれる人を大切にして生きたいです。

https://ilatte.co/eritaku/erinco-profile/

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